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金魚の由来は?赤いのになぜこの名前?

金魚は赤いのになぜなのか

気になったことはありませんか?

そもそも身近な観賞魚ですが、

由来原産地はどこなのでしょうか?

 

子供も大好きだけど、知っているようで知らない、

身近な金魚の謎について迫ってみました。

金魚の原産地や由来は?

原産地は中国になります。

 

中国の晋の時代(西暦265年~420年)に、

フナが黒い色素を欠き赤くなった

突然変異体が発見され、

そのヒブナが現在金魚と呼ばれる世界の

すべての金魚の祖先となっています。

 

今から1500年以上も前から

古代中国で飼育されていたというから驚きです。

なぜ金魚と名前がついた?

中国からそのまま持ち込まれたものですが、

理由は諸説あります。

 

・光にあたると赤い鱗が金色に見えるから

・そもそも観賞用として大変高価な魚だったから

 

などです。

 

ちなみに、中国では金魚を

金余(チンユイ:余裕ができる)と呼びます。

これは蓄財につながる意味がありますので、

今でも中国で観賞用として人気がある魚です。

水槽の金魚

日本への伝来は?

金魚が中国から日本に渡ってきたのは、

今から約5百年前の昔の、室町時代末期のころです。

国際貿易港として栄えていたに持ち込まれたようですが、

養殖技術もないため、完全な輸入品で

その価格も大変高価だったようです。

 

江戸中期の元禄(1688~1704年)には

当時が、日本の歴史上有数の

高度成長期だったこともあり

経済的に余裕が出てきた裕福な町民の間で

金魚ブームが起こり、武士が副業として

金魚の養殖を行っていたりしたようです。

 

ちなみに元禄の頃には、

金魚1匹 5両~10両の値段がついていました。

現在の価値に換算して1両=10万円前後と考えられますので、

金魚1匹50万円~100万円であったと言えます。

 

10両以上盗んでお縄になると首が飛ぶ時代でしたから、

金魚2匹盗めば確実に首が無くなりますね・・・

 

歌川国芳の浮世絵 金魚づくし

歌川国芳の浮世絵 金魚づくし

生類憐みの令とも関係が?

ちなみに、元禄と言えば生類憐みの令が有名ですが、

江戸庶民の金魚飼育にも影響してきます。

 

なんでも、生類憐みの令の拡大解釈により

江戸中で飼育されている金魚が集められて、

神奈川県藤沢市の遊行寺の池

放流することが命じられたんだとか。

 

この池は放生池 (ほうじょうち)と言って、

古来よりこの池に金魚・鯉など放生すれば、

功徳により繁栄、長寿を得られるとされるありがたい池です。

 

この池は放生池として現在も、

神奈川県藤沢市の遊行寺に残っています。

遊行寺 放生池

放生池 遊行寺HP http://www.jishu.or.jp/

 

金魚が生類憐みの令にも

関わっているのにびっくりしますが、

しかし、100万円出して買った金魚を

放たれてはかなわないですよね。

 

金魚のアートアクアリウムがキレイ!

今では養殖技術もすすみ、

手軽に金魚を楽しめる時代となりました。

 

その集大成とも言えるのが、

金魚のアートアクアリウムです。

 

たかが金魚、されど金魚。

東京のコレド日本橋には

2012年に20万が来場したのだとか。

 

ここまで幻想的になるなんて驚きです。

少し金魚を見直しました。

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